【~音楽付き朗読劇~『原爆詩を読む』】「命」
本日の担当は、遠藤英恵です。

私は戦争体験はありませんが、これまで戦争に関することに触れたことを書きます。

私の父は戦争中、松島でかなり厳しい軍事訓練を受け、その後、運良く事務に配属されました。

私の母は娘時代に、東京の下町で両親と共に空襲に遭い、隅田川や言問橋では沢山の人が犠牲になったのを目の当たりにしました。

私の祖母である、母の母は、「もう駄目だ」と諦めたそうですが、母が「生きたい」と言ったので、三人で必死で逃げて助かったそうです。

父も母も生きてくれたので、今の私がいるのだと感謝します。

中学の校内の合唱コンクールで、クラス全員で「戦争を知らない子供たち」を歌いました。
この時、初めて戦争のことを考えました。

高校の修学旅行は、長崎で折り鶴を折りました。
そして、長崎原爆資料館で戦争や、原爆の恐ろしさを知りました。

その後、仕事で行った広島で、原爆ドームや広島原爆資料館に行き、息を詰めて見たことを思い出しました。

“あまん きみこさん”の「ちいちゃんのかげおくり」をラジオで朗読した時、空襲でひとりぼっちになったちいちゃんを、ぎゅっと抱きしめたい気持ちになりました。

戦争をテーマにした舞台では、小説家の林京子さんの原作で、プロツーカンパニーの「もうひとつのグラウンド・ゼロ」に出演させていただきました。

林さんは女学生の時に長崎で被爆して助かりましたが、ずっと原爆症の不安を抱えながら結婚も出産もなさった方で、林さんの娘時代の“わたし”という役をさせていただきました。
原爆に遭い、友人のカナと二人、命からがらで逃げるシーンで、

「原爆は一発で沢山人を殺しただけじゃなかね。生き残っても苦しまなならん」

という、“わたし”の台詞に、今でもやるせない気持ちになります。
その芝居を見て下さったお客様のアンケートに、「8月には必ず戦争の舞台や映画を見る」と書いてありました。

私の母は、「戦争は決してしてはいけない、そして平凡であることが一番幸せ」と、よく言ってました。

それらのことを思いながら、戦争がなくなり、世界中が平和になることを願って、「原爆詩を読む」にのぞみます。

| 稽古場日記 | 13:48 | comments (x) | trackback (x) |

  
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