2025,05,28, Wednesday
皆様、こんにちは!
いつもブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。
準劇団員の中島鱗(なかじま りん)と申します。今回は「音楽付き朗読 原爆詩を読む」に出演いたします。

朗読チームのメンバーはこちら!
(後列左から 磯辺さん、江川さん、遠藤さん、奥原さん
前列左から 葛西さん、小川さん、岸川さん、中島、工藤さん )
私事ではありますが、朗読の公演に出演するのは今回が2回目!
昨年の夏、“劇団昴企画公演 夏の朗読会 「とりつくしま」 ”に、アンサンブルで参加させていただいておりました。
「声」だけでお客様に情景や言葉をお届けするのは当時も今回も苦戦しており、「ああでもない、こうでもない」と、四苦八苦しながら稽古をしていました。

行き詰まった時は、何度も稽古場のパティオから青空を眺めていました。(今日は残念ながら曇天ですが…)
原爆詩に“空”の描写が多く出てくるのですが、この空を見つめながら、原爆が落ちてくる時の事、落ちた後の街の事を考えていました。


こちらは養成所修了公演「フツーの生活 沖縄編」の際、沖縄にて撮った写真です。
沖縄にも青空と綺麗な海が広がっていました。ひめゆり平和祈念資料館に見学に行き「なぜ、こんな目に遭わなければならないのか」と、展示を見ながら強く思った事を今でも覚えています。
今回の朗読で上演する原爆詩の他に、
胸に刺さった詩をご紹介させていただけたらと思います。
戦争・原爆は人の命だけでなく、生きる希望も奪っていってしまう気がします。
もう青空から逃げ隠れる事が起きないよう、何が出来るのか考えていきたいと思います。
『としとったお母さん』
峠 三吉
逝いってはいけない
としとったお母さん
このままいってはいけない
風にぎいぎいゆれる母子寮のかたすみ
四畳半のがらんどうの部屋
みかん箱の仏壇のまえ
たるんだ皮と筋だけの体をよこたえ
おもすぎるせんべい布団のなかで
終日なにか
呟つぶやいているお母さん
うそ寒い日が
西の方、己斐の山からやって来て
窓硝子にたまったくれがたの埃をうかし
あなたのこめかみの
しろい髪毛をかすかに光らせる
この冬近いあかるみのなか
あなたはまた
かわいい息子と嫁と
孫との乾いた面輪をこちらに向かせ
話しつづけているのではないだろうか
仏壇のいろあせた写真が
かすかにひわって
ほほえんで
きのう会社のひとが
ちょうどあなたの
息子の席があったあたりから
金冠のついた前歯を掘り出したと
もって来た
お嫁さんと坊やとは
なんでも土橋のあたりで
隣組の人たちとみんな全身やけどして
ちかくの天満川てんまがわへ這い降り
つぎつぎ水に流されてしまったそうな
あの照りつけるまいにちを
杖ついたあなたの手をひき
さがし歩いた影のないひろしま
瓦の山をこえ崩れた橋をつたい
西から東、南から北
死人を集めていたという噂の四つ角から
町はずれの寺や学校
ちいさな島の収容所まで
半ばやぶれた負傷者名簿をめくり
呻きつづけるひとたちのあいだを
のぞいてたずね廻り
ほんに七日め
ふときいた山奥の村の病院へむけて
また焼跡をよこぎっていたとき
いままで
頑固なほど気丈だったあなたが
根もとだけになった電柱が
ぶすぶすくすぶっているそばで
急にしゃがみこんだまま
「ああもうええ
もうたくさんじゃ
どうしてわしらあこのような
つらいめにあわにゃぁならんのか」
おいおい声をあげて
泣きだし
灰のなかに傘が倒れて
ちいさな埃がたって
ばかみたいな青い空に
なんにも
なんにもなく
ひと筋しろい煙だけが
ながながとあがっていたが……
若いとき亭主に死なれ
さいほう、洗いはり
よなきうどん屋までして育てたひとり息子
大学を出て胸の病気の五、六年
やっとなおって嫁をもらい
孫をつくって半年め
八月六日のあの朝に
いつものように笑って出かけ
嫁は孫をおんぶして
疎開作業につれ出され
そのまんま
かえってこない
あなたひとりを家にのこして
かえって来なかった三人
ああお母さん
としとったお母さん
このまま逝ってはいけない
焼跡をさがし歩いた疲れからか
のこった毒気にあてられたのか
だるがって
やがて寝ついて
いまはじぶんの呟くことばも
はっきり分らぬお母さん
かなしみならぬあなたの悲しみ
うらみともないあなたの恨みは
あの戦争でみよりをなくした
みんなの人の思いとつながり
二度とこんな目を
人の世におこさせぬちからとなるんだ
その呟き
その涙のあとを
ひからびた肋あばらにだけつづりながら
このまま逝ってしまってはいけない
いってしまっては
いけない
いつもブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。
準劇団員の中島鱗(なかじま りん)と申します。今回は「音楽付き朗読 原爆詩を読む」に出演いたします。

朗読チームのメンバーはこちら!
(後列左から 磯辺さん、江川さん、遠藤さん、奥原さん
前列左から 葛西さん、小川さん、岸川さん、中島、工藤さん )
私事ではありますが、朗読の公演に出演するのは今回が2回目!
昨年の夏、“劇団昴企画公演 夏の朗読会 「とりつくしま」 ”に、アンサンブルで参加させていただいておりました。
「声」だけでお客様に情景や言葉をお届けするのは当時も今回も苦戦しており、「ああでもない、こうでもない」と、四苦八苦しながら稽古をしていました。

行き詰まった時は、何度も稽古場のパティオから青空を眺めていました。(今日は残念ながら曇天ですが…)
原爆詩に“空”の描写が多く出てくるのですが、この空を見つめながら、原爆が落ちてくる時の事、落ちた後の街の事を考えていました。


こちらは養成所修了公演「フツーの生活 沖縄編」の際、沖縄にて撮った写真です。
沖縄にも青空と綺麗な海が広がっていました。ひめゆり平和祈念資料館に見学に行き「なぜ、こんな目に遭わなければならないのか」と、展示を見ながら強く思った事を今でも覚えています。
今回の朗読で上演する原爆詩の他に、
胸に刺さった詩をご紹介させていただけたらと思います。
戦争・原爆は人の命だけでなく、生きる希望も奪っていってしまう気がします。
もう青空から逃げ隠れる事が起きないよう、何が出来るのか考えていきたいと思います。
『としとったお母さん』
峠 三吉
逝いってはいけない
としとったお母さん
このままいってはいけない
風にぎいぎいゆれる母子寮のかたすみ
四畳半のがらんどうの部屋
みかん箱の仏壇のまえ
たるんだ皮と筋だけの体をよこたえ
おもすぎるせんべい布団のなかで
終日なにか
呟つぶやいているお母さん
うそ寒い日が
西の方、己斐の山からやって来て
窓硝子にたまったくれがたの埃をうかし
あなたのこめかみの
しろい髪毛をかすかに光らせる
この冬近いあかるみのなか
あなたはまた
かわいい息子と嫁と
孫との乾いた面輪をこちらに向かせ
話しつづけているのではないだろうか
仏壇のいろあせた写真が
かすかにひわって
ほほえんで
きのう会社のひとが
ちょうどあなたの
息子の席があったあたりから
金冠のついた前歯を掘り出したと
もって来た
お嫁さんと坊やとは
なんでも土橋のあたりで
隣組の人たちとみんな全身やけどして
ちかくの天満川てんまがわへ這い降り
つぎつぎ水に流されてしまったそうな
あの照りつけるまいにちを
杖ついたあなたの手をひき
さがし歩いた影のないひろしま
瓦の山をこえ崩れた橋をつたい
西から東、南から北
死人を集めていたという噂の四つ角から
町はずれの寺や学校
ちいさな島の収容所まで
半ばやぶれた負傷者名簿をめくり
呻きつづけるひとたちのあいだを
のぞいてたずね廻り
ほんに七日め
ふときいた山奥の村の病院へむけて
また焼跡をよこぎっていたとき
いままで
頑固なほど気丈だったあなたが
根もとだけになった電柱が
ぶすぶすくすぶっているそばで
急にしゃがみこんだまま
「ああもうええ
もうたくさんじゃ
どうしてわしらあこのような
つらいめにあわにゃぁならんのか」
おいおい声をあげて
泣きだし
灰のなかに傘が倒れて
ちいさな埃がたって
ばかみたいな青い空に
なんにも
なんにもなく
ひと筋しろい煙だけが
ながながとあがっていたが……
若いとき亭主に死なれ
さいほう、洗いはり
よなきうどん屋までして育てたひとり息子
大学を出て胸の病気の五、六年
やっとなおって嫁をもらい
孫をつくって半年め
八月六日のあの朝に
いつものように笑って出かけ
嫁は孫をおんぶして
疎開作業につれ出され
そのまんま
かえってこない
あなたひとりを家にのこして
かえって来なかった三人
ああお母さん
としとったお母さん
このまま逝ってはいけない
焼跡をさがし歩いた疲れからか
のこった毒気にあてられたのか
だるがって
やがて寝ついて
いまはじぶんの呟くことばも
はっきり分らぬお母さん
かなしみならぬあなたの悲しみ
うらみともないあなたの恨みは
あの戦争でみよりをなくした
みんなの人の思いとつながり
二度とこんな目を
人の世におこさせぬちからとなるんだ
その呟き
その涙のあとを
ひからびた肋あばらにだけつづりながら
このまま逝ってしまってはいけない
いってしまっては
いけない
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